潮来育樹祭に反対する会議(略称いい会議)の日記

天皇制に反対し、育樹祭に反対する県内有志による取り組みのブログ

関東コミュニズム研究会による「育樹祭について考えるための学習会」参加報告

以下に関東コミュニズム研究会のブログより「育樹祭について考えるための学習会」参加報告を転載します。

2023年7月17日月曜日

第一回「育樹祭について考えるための学習会」@茨城県潮来市 参加報告

 

 7月16日日曜日、「潮来育樹祭に反対する会議」主催の学習会が茨城県潮来市亀の井ホテルで行われた。われわれは反天皇制の立場から会議の趣旨に賛同する者として現地へ赴き、学習会に参加した。この記事ではその内容を報告し共有するとともに、天皇制の国家行事の一つである育樹祭へ反対の声を上げることを、より広範な市民に対し呼びかけたいと思う。

Ⅰ. 四大行事について

 育樹祭という個別の行事に触れる前に、現在この国で天皇の名のもとに行われている恒例行事はどのようなものがあるか概観しておこう。恒例行事の中心は「国民体育大会」(2024年から「国民スポーツ大会」と改称)「全国植樹祭」「全国豊かな海づくり大会」「国民文化祭」の四大行事である。なお、政府や天皇主義者の側は「四大行幸啓」などというプロパガンダ的呼称を好んで用いる。一つずつ見ていくことにしたい。

国民体育大会(2024年から「国民スポーツ大会」と改称)

 1946年から毎年各都道府県持ち回り制で開催されているスポーツ大会である。通称国体。現在は二巡目に入っている。その発祥は戦前、1924年から1943年にかけて開催された明治神宮競技大会にまで遡ることができる。このことから容易く想像できるが、こちらの旧大会は天皇イデオロギープロパガンダ的傾向が強く、1940年の大会は「紀元二千六百年奉祝第十一回明治神宮国民体育大会」と称されており、神武天皇を始祖とする万世一系の皇族という神話的空想に基づいていることが明らかである。また競技にしても、戦後GHQにより禁止され、現在は自衛隊内でのみ解禁されている「集団銃剣道」が行われており、「御国のため」といって突撃して死ぬことも辞さない「天皇陛下の赤子」に教育しようとする意図が透けて見えるものだった。この明治神宮競技大会から国体への移行は戦前の絶対主義天皇制から戦後の象徴天皇制への移行とパラレルに、あるいはそれを演出するためのキャンペーンの一貫として捉えられなければならない。

 また、国体はしばしば八百長と批判されることがある。過去大会の結果一覧を見れば分かる通り、1964年以降は開催地となった都道府県が100%に近い割合で優勝しているからだ。その唯一の例外となったのが第57回の高知国体であり、革新派の知事として名を馳せていた橋本大二郎が国体の在り方を見直した結果だった。1

 なお、今回の学習会講師を務めて下さった加藤匡通さんによれば、この国民体育大会に対しては60年代から90年代にかけて自治体労働者を中心とする広範な反対運動が展開されていたという。後述する全国植樹祭および全国豊かな海づくり大会とはこの点で異なっている。思想に基づいた反対闘争というよりは、国体がやって来るとその地方自治体の労働者がいっせいに駆り出されてしまい、日常的な業務のレベルにまで支障が出てしまうようなことがあったというので、否応なしにそのような闘争を組織せざるを得なかったという事情があるようだ。80年代には昭和天皇ヒロヒトが没したいわゆるXデーと平成天皇アキヒトへの代替わりがあり、それに伴う激しい反対運動が盛り上がった。反対運動の規模はその後縮小していったが、2010年代になっても2013年東京・多摩国体魚拓)と2019年茨城・東海村国体魚拓)で反対運動があったのを確認できる。(「うちでもやってるぞ!」という方はぜひコメントをお願いします)。

全国植樹祭

 1950年から国土緑化運動の中心として行われている植樹行事。今年11月に茨城で行われようとしている全国育樹祭はこれと直接の繋がりを持っている。その発祥はやはり戦前にまで遡ることができ、1934年に茨城県(!)・筑波山麓の真壁町で行われた全国的な植樹行事魚拓)を前身としている。なお、現在では植樹祭が5月もしくは6月に開催されることもあり踏襲されなくなったものの、1950年代にはかつては国民の祝日とされていた4月3日の神武天皇祭の前後が全国植樹祭の日とされており、これも国体と同様に戦前の天皇イデオロギーの基盤となる神話的空想に色濃く性格づけられて開始されていることを見逃してはならない。

 全国植樹祭に固有の問題として、そのネーミングとは裏腹にこれが目に分かる形で悪辣な自然破壊行為だということが挙げられる。こちらのブログ記事魚拓)には全国育樹祭も含め、天皇の名においてなされた自然破壊行為の事例がいくつか紹介されているので参考にされたい。要点を引用すれば次の通りである。

 

 山の奥の奥、人の生活などまったくなかったところに「植樹祭」をするために新たに道を通し、会場を造るというのはどうだろう。

 「甲斐」の名をやっと入れてもらった「秩父多摩甲斐国立公園」の、ここは一木一草とておろそかに扱ってはならない特別地域のはず。そこに、あろうことか「植樹祭」という名目で、しかも行政によって、これだけの施設が造られているのである。考えれば考えるほどわけがわからない。国土の緑化や保全の推進が「植樹祭」の理念ならば、山を崩し、木を切って、山の中にそのための施設を新たに設けるのは矛盾以外のなにものでもない。

 

 天皇が来るので数本の木を植える、というだけでこれだけの自然破壊が行われ、木はもちろんそこを生息地としていた動物や虫たちが安息の地から締め出しを食らうのである。どうして天皇制への怒りを禁じることができようか。その暴挙を限りない怒りを込めて弾劾する。加藤さん曰くその存在は調べても確認できなかったそうだが、エコロジーの文脈から反対運動を起こすことが今こそ強く求められていると思う(「私たちはその問題で反対していた!」という方はやはりコメントお願いします)。

 さらに我々の立場から問題として投げかけておきたいのは、毎年これだけの整備を行うためにどれだけの利権が生まれ、そこに群がってくる資本がどれだけいるかということである。国家による統治・管理を目的とするのみならず、資本主義と強く結びつき「我が亡きあとに洪水来たれ」式の災害的な自然破壊を伴った市場拡大を正当化する大義名分の役割を果たしている、そのような天皇制という装置の本質を見なければならない。

③全国豊かな海づくり大会

 この行事はここまで見てきた二つに比べれば歴史が浅く、1981年の大分大会から始まっている。当初は皇太子行事であったが、1989年からアキヒトの天皇即位に伴い天皇行事となった。その趣旨は「魚食国である日本の食卓に、安全で美味しい水産食料を届けるため、水産資源の保護・管理と海や湖沼・河川の環境保全の大切さを広く国民に訴えるとともに、つくり育てる漁業の推進を通じて、明日のわが国漁業の振興と発展を図ること」などと説明されている。

 この行事に対しても、上述した80年代の反天皇制運動の一環として闘争があったと加藤さんからのお話があった。またネットで少し調べてみただけでもいくつも反対運動の記事がヒットした。以下いくつかリンクを貼らせて頂く。2

 

・2022年兵庫大会

「11.13天皇参加の豊かな海づくり明石大会を弾劾する」(週刊かけはし)(魚拓

・2016年山形大会

「天皇行事の「海づくり大会」 はいらない! 海づくりは、海こわし 7・18討論集会」(反天連)(魚拓

「【集会報告】被災者切り捨ての中、「東北復興」を掲げた天皇行事をはねかえせ! 山形海づくり大会反対を闘う」(反天連)(魚拓

・2012年沖縄大会

「【報告】11.17 基地づくり! 海づくり? 天皇の沖縄訪問反対!緊急行動」(アジア連帯講座)(魚拓

 また、今年の9月に北海道・厚岸で海づくり大会が開催されようとしており、そちらへの反対行動も予定されているようだ。

国民文化祭

 こちらは海づくり大会よりも更に歴史が浅く、1986年東京大会から始まっている。通称国文祭。「文化の国体」と呼ばれており、国体が体育祭だとすれば文化祭(文字通りだが)の関係にある。

 昨年の沖縄大会に対しては現地反対行動魚拓)が起こされたほか、大阪でも抗議集会が開かれ関西コミュニズム研究会の仲間が参加している。

 

Ⅱ. 小括:全国育樹祭の位置づけと潮来市でのそれに反対する意義

 ここまで四大行事を概観するとともに、それらに対していかなる反対行動が取り組まれてきたかを紹介してきた。四大行事を俯瞰しつつその政治的意図に合わせた分類を行うならば、①国民体育大会と④国民文化祭は各地方自治体に協力を強いることを通して、「国民」がその人間的営みによって自発的に形成する社会的文化的活動・関係の総体を天皇制を頂点とするヒエラルキーのなかに統合・管理しようとする国家行事である。次に②全国植樹祭と③全国豊かな海づくり大会は林業・漁業という産業を統合することで国土と資源の管理を目指すものであると同時に、山・海という伝統的に霊的な意味を付与されてきた場所に対する天皇接触という面から考えるならば、「国民」の「象徴」であるとともに事実上今もなお神道という宗教の最高権威である天皇の地位の再確認と「国民」へのその意識の刷り込みを企図する行事だといえよう。

 説明が後回しになってしまったが、育樹祭はこのうちの後者に分類される②を補足するものとして位置づけられる。1977年に始まった育樹祭は、主に昭和天皇ヒロヒトが植えた木を手入れするだけの行事であり、目に見えて分かりやすい形で敗戦後の天皇制の継承性がそこに示されている。ただし同時並行で「植樹祭」も開催され続けているため、将来的に植樹祭で植えられた日本全国の木を回りきれるように一年間の挙行回数を増やすようなことも考えられなくはない。

 さて、確かに普段この国家の中で天皇のことなど意識せず過ごしているノンポリの市民にとって、これらの行事などどうでもいいことかもしれない。とりたてて騒いでいるのは私たちのような左翼と、その対極にある天皇主義者の右翼だけかもしれない。

 だが普段どうでもいいものと思っている、否どうでもいいということすら意識することなく過ごしているこれらの行事こそ竹内好が「一木一草に天皇制がある」と語ったような日本の風土を形成してしまうのである。或いは竹内芳郎が「真の善もなければ真の悪もなく、真の文化からとまったくおなじように真の野蛮からも程遠く、なんでも一家団欒式にまるくおさめることによって一切の真正な投企をまきこみダメにしてしまう現代のこの日本的現実」3を生み出し、それでいてそのとらえどころのないとぼけた穏和さを表の顔とする集団同調圧力が裏の顔を見せた時には、「あからさまな権力による威圧とは異質だとはいえ、にもかかわらずそれに劣らず、いなむしろそれ以上に、それに従わない異分子にたいしてはおそろしく苛烈な迫害暴力として働く」4粘ついた陰湿さを発揮する「天皇教」の実体が露わになるのだ。

 個人的なエピソードを一つだけ綴らせて頂くならば、私が中学生の時、通っていた中学校の合唱部が国民文化祭に「動員」された。私が会場に行ったわけではないのだが、聞いた話ではそこに時の天皇アキヒト、皇后ミチコが姿を現していたようだ。合唱部のエースで学級委員長でもあり、ルックスもよいというまるでドラえもん出木杉くんのようなE君という人がいて、会場でアキヒトと何かしらの会話を交わしたそうだ。その後、音楽の先生が「天皇(陛下と呼んでいた気もする)とお話しをしたことのある人は国民の中に1000人もいないそうよ」と、さもEくんの体験を名誉なことであるかのように語っていたのである。ちなみにその1000人云々が事実であるか否かは知らない。問題は私の中学校で、一年間のうち何回かはそれがエピソードとして誰かの口から語られているのを耳にした記憶があることだ。そしてEくんとは別のクラスで特に接点があるわけでもなかった私の記憶にも、現にこの出来事が刻み付けられてしまっていることだ(その時は反天皇主義者ではなかったのだが)。

 このように天皇制は、毎年の四大行事やその他の行事・褒章授与などを通して、さまざまな場所で生まれる日常の何気ない場面の奥底に毒の棘を仕込む。一度刺さって皮膚の下に埋め込まれた棘は毒を放出し始め、それは長い時間をかけて着実にその人を蝕んでいく。恐ろしいことにこの国では、学校、職場、家庭、メディアなどで、身近なところにいる誰某が、或いは行事に呼ばれるような各界の著名人の誰某が5、気が付けば自らの言葉や身振り手振りに毒の棘を仕込ませることなしには意思疎通を行うことができなくなってしまっている。更にタチの悪いことには、誰もが自らこの毒に苦しめられているにも関わらず、それを取り除くよりも侵された者同士で蹴落としあい、それに侵されていない人間には憎しみを向けることを良しとするようになり、快癒への道を説く人間などがいれば、これでもかと目の敵にして沈黙させようとするのである。

 いささか比喩的に語ってしまったが、私には今の日本的現実がこのようなものであるように思えて仕方がない。ここ最近天皇制について考える時間が増えるにつれ、それだけその思いも強くなっている。弁証法的なダイナミズムとは無縁であるかのように見える現状は、変革を志す者を絶望の中に誘う。しかし、ありもしない空虚な希望を見出そうとするよりは、敵の作り出す絶望を引き受けてその只中を生き、虎視眈々と敵がほころびを見せる瞬間を窺うしかないのではないだろうか。その為には天皇制を観念的に捉えるのではなく、絶えず繰り返される正当化のための行事により、人為的に存続させられている制度たる点を捉える必要がある。自分の生活してきた地方で催される行事を監視し、草の根的な運動で地道に反対の声を拡大していくことこそ、その堅実な道ではないだろうか。恒例行事では済まされない、来るべき戦後二回目となる天皇Xデー(正確に言えば「上皇Xデー」だが)が前回とどのように異なるかにも注意する必要がある。天皇制を打ち崩すための好機を、ただ静観するだけでなく運動の中に身を投じて掴み取っていかねばならない。

 我々関東コミュニズム研究会としては、上述した敵のほころびを捉えるための視座を獲得する(これ自体困難なことではあるが)ため、その一助となるような反天皇制学習会を今後開催していくつもりである。

 

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1:「高知県概論」高知県知事 橋本大二郎の講演 参照(魚拓)。これを読むと、国体の「開催地優勝」がいかに愚かしいプロセスを経て作り出されているかというその実態を垣間見ることができる。

2:なお、記事の執筆者である私としてはヴィーガニズムの観点も考慮する必要を感じるため、正面から漁業を云々しようとすると複雑な問題圏に立ち入ることにならざるを得ない。そのためこれらの記事内容(特に「週刊かけはし」の「豊かな海の再生」云々の記述)に全面的に賛同することはできないが、反天皇制の立場を同じくする者として紹介させて頂く。

3:竹内芳郎サルトル哲学序説』筑摩叢書、1972年、p253
 
4:竹内芳郎『ポスト=モダンと天皇教の現在』筑摩書房、1989年、p35-36
 
5:この「天皇教」形成システムは紫綬褒章をはじめとする褒章を授与される各界の大御所的人物から、サブカル界の中堅クラスの著名人までを広告塔として引き込む吸引力を持っている。個人的に興味のある分野で言えば、今年のいわて植樹祭に声優の桑島法子や俳優の村上弘明が呼ばれているし、同じく昨年の植樹祭には声優の山口勝平が呼ばれている。そして各々がその有難い行事に参加させてもらったことに対し口々に感謝の言葉を述べるのである。仮に真正面からそんな行事に参加するなと批判したとしたら、その主張の当否はともかくとして、というお決まりの枕詞とともになんて空気の読めない奴なんだ、と白眼視されるのは必定である。四大行事ではないが、天皇ナルヒト・皇后マサコの代替わり儀式でわざわざ特別に作られた「奉祝曲」を披露してみせたジャニーズの嵐などは、それによって名実ともに「国民的アイドル」になったといえよう。またこれとはベクトルがいわば逆だが、昨今のジャニー喜多川の性加害をめぐるマスコミの事件をタブー視する不気味な沈黙や、一部のジャニーズ・ファンに見られた、まるでジャニー喜多川ではなく性被害を実名で告発したカウアン・オカモト氏の方が問題であるかのような物言いからは、各界での大御所がいわば「小天皇」のごとく特定の分野で君臨し、その当人や周囲の人間までもが天皇教的心性を自身の立場に応じて模倣していくグロテスクな構図がいかに日本文化・社会の隅々に浸透しているかが分かるというものであるし、日本の新左翼ノンセクトとて例外ではなく、口先でプロレタリア国際主義などといったものを喧伝してみたところで、天皇教的心性との全身全霊をかけた闘いなしにはそんな言葉は空語である。天皇制との闘いで何よりも重要なのはまず自己点検、自己批判から出発することであり、自己の深部まで下りてゆき、気付かぬうちに内面化されていた天皇教的心性を抉りだす内向きの闘いを徹底的に遂行する覚悟を固めることなしには、日本的現実の変革など果たせるはずもないと心してかからねばならない。
 
(地球怪獣ハンテンギラス)